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世界遺産 和順支石墓遺跡

カムテバウィ地区

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カムテバウィ地区

カムテバウィ採石場

カムテバウィは池洞集落から宝剣峠を越える道から北に位置する支石墓の上石の採石場である.この岩壁は長さ6m、高さ2.5mほどが露出しているが、岩壁には60㎝前後で節理が見られ採石しやすい石質を持っている.岩に登って観察すると飛び出した部分を剥離させようとした痕跡と剥離するために掘った溝が確認できる.堅い石などでこの溝を掘って、そこにテコや楔を入れて力を加えると簡単に分離させることができる.周辺には多くの岩が上石のように剥離された状態で置かれている.岩壁の隣の岩が斜めに置かれているものは、再び移動することを考えて採石した後、動かされた状態のものである.

カムテバウィの下の様々な型式の支石墓

カムテバウィの下に密集分布している支石墓は、支石墓の多様な形態を調べることができる.上石を支えつつ地上に埋葬主体部が構築された卓子式支石墓と支石が支えている碁盤式支石墓、埋葬主体部が露出した蓋石式支石墓などである.
この岩壁の上には塊石型上石が採石された状態で置かれており、周辺に採石して後、積んでおいたように見える石材がある.このような状況からそこで上石を採石して後すぐに下に移して支石墓を築造したと考えられる.ここは上石の採石と墓の様々な形態など支石墓の採石から築造までの過程を1ヶ所で総合的に見せる活きた教育の場である.

台風で毀損したカムテバウィ支石墓の発掘

2012年の台風ボラベンの影響で毀損した23号と24号を発掘調査した.その結果、24号は大型板石を使って埋葬主体部を構築した卓子式であることが明らかになり、23号は蓋石式で上石の下から埋葬主体部が確認された.

完全な卓子式支石墓が復元

24号支石墓は発見当時から元々一方の壁石が崩れて傾いていたが、一方の長壁と短壁が築造当時の姿のまま埋葬主体部が露出している状態であった.
しかし、台風の影響でマツの木が倒れたことで上石が移動して埋葬主体部も完全に毀損してしまった.支石墓の大きさは長さ450㎝、幅310㎝、厚さ70㎝、重さは15トンで大型級に属し、上石の下には両長壁の石である大型板石2枚と短壁石1枚で支える卓子式支石墓である.今回復元された長さ140㎝、幅50㎝、高さ40㎝の埋葬主体部の上に載せられた上石は埋葬主体部の外側に1m~1.7m程度の軒をもつ雄大な姿を見せる.
この支石墓は今後、碁盤式支石墓とともに和順支石墓遺跡の代表的な卓子式支石墓として一般人と学生たちの活きた教育の場として活用されるだろう.

完形の磨製石剣が発見

和順支石墓で初めて完形の磨製石剣が副葬遺物として出土した.23号上石の下で長さ133㎝、幅46㎝、深さ40㎝の埋葬主体部が確認された.
埋葬主体部内で磨製石剣の完形品(有茎式石剣)が一方の短壁付近で剣の先端が上を向いたまま出土した.磨製石剣の長さは12.5㎝、剣身の長さは10.5-10.6㎝で、柄と連結する部分の両方に抉りが掘られている.このような磨製石剣は柄を別途に製作し、そこに装着して使う形態である.